数日前にBSでイージー·ライダーを放送していたので30年振りくらいに視聴しました。(最初に見たのは確か二十歳の頃かなぁ)
当時はステッペン·ウルフの Born to be wild という有名な主題歌とファッションの映画という印象でした。
ボーン·トゥ·ビー·ワイルド は ちゅう が高校生の時、The Cult というバンドのカバーバージョンが好きだったのでカラオケで歌った記憶があります。
ところが今回二度目の鑑賞では、前に見た時に近い感想ではあるのですが、いろいろな意味で軽い映画ではないし、外見でのカッコよさだけのファッション映画ではありませんでした。
もっと気楽に見れる作品だったはずが、もっと暗く、重い感じ。
音楽もハードロックから辺境フォーク、カントリー、明る目のR&Rであるんだけども、詞の内容は暗め。重い。
映画から見てとれるのは差別や宗教、麻薬、アメリカ建国の理念、自由など。南部と北部の対立、田舎と都会、保守と自由みたいな対の中、北部、都会、自由を体現するふたりが受ける迫害を描いてるから重く感じるんでしょう。
to be wildじゃなくてto be freeの方がこのテーマに合うかな。be wild to be free とかね。
この作品は1969年アメリカ作品で(半世紀前😱)、個性派俳優として有名なデニス·ホッパーが監督、脚本、俳優 (主人公ふたり組の長髪の方のビリー役) 引受けています。
67年に 白夜の幻想 という映画で共演した縁でピーター·フォンダ、デニス·ホッパー、ジャック·ニコルソンの3人が意気投合、イージー·ライダーにつながっていきます。
イージー·ライダーの主人公、ピーター·フォンダはデニス·ホッパーと共にこの作品の脚本に名を連ねることになります。
ピーター·フォンダは俳優ヘンリー·フォンダを父に持ち、娘フォンダも女優として活躍している血統書つきの俳優一家です。( メジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンみたいなもんかね )
この映画での彼の通り名 キャプテン·アメリカ は建国の理念 自由 、アメリカそのものを象徴するのでしょう。( ビリーの方はビリー·ザ·キッドか?)
アメリカ国旗を背負う彼のライダースジャケット、チョッパー、サングラスと一つ一つカッコいいです。
数年前にお亡くなりになりましたが晩年にチョッパーに跨がりファンを喜ばせたニュースを見ましたね。そういえば。
劇中でふたりの旅に合流する弁護士、ハンセン役のジャック·ニコルソンは、奇人を演じれば右にでるものはいないであろうシャイニングのあの俳優さんです。
ピーター·フォンダ演じるキャプテン·アメリカことワイアットとデニス·ホッパー演じるビリーは、麻薬の取引で得た大金をハーレーの燃料タンクに隠し、LAからニュー·オリンズに自由を求め旅に出ます。
西部劇の舞台の旅を、時計を捨てて、馬の変わりにHeavy Metalなハーレーに乗り替えて。
旅で出会う人たちとの関わりの中に、当時のアメリカのほんの少しの良心とたくさんのプロブレムを映していきます。
彼らをよく思わない人達は多くいつも夜は野宿。(部屋を貸してくれない)火を囲んでマリファナやって語りあう毎日。
この映画はアウトサイダーの物語と言われているけれど、ひとを殺めたり、喧嘩自慢をしたり、威嚇したり、盗みをするアウトローの物語ではないし、本質的に悪事よりも善意が見える普通の青年です。
麻薬密売やハッパ吸ったりはありますが時代性も加味しなければならないと思います。
2番目に会うヒッチハイクの男、ジーザスと先述した弁護士のハンセンとの交流が ちゅうにとっては印象的なものでした

都会育ちの若い男女が暮らす痩せこけた開拓地にジーザスを送り、そこに立ち寄ります。
宗教的なコミューンかと思えばそうでもないヒッピーの集合体。作物は神に縋る。作物の種撒きもテキトーに見えます。
ジーザスは思慮深いワイアットには友達面するが単純なビリーには冷たく当たる差別みたいなものが透けてみえます。ジーザスなのに選民してまーす。
姿、形はワイアットたちと同じように自由に生きていきたい人たちの集まりのようですが、ここはふたりの安住の地ではないようです。
逆に次に会うことになるハンセンは良家の息子で弁護士、ふたりと住む世界に違いがあるかと思えば、お互い求めるものがとても近い。
酔っ払って留置されたハンセンと許可なく祭りのパレードに参加したワイアット、ビリーは警察の留置所(拘置所?)で出会います。
ハンセンは弁護士としてふたりの解放に力を貸しその縁でニューオーリンズの謝肉祭と娼館を一緒に目指すことになります。
差別が蔓延する時代の人権派弁護士も国家、社会からのハミダシ者。アルコール中毒だし。(ちゅう も元アル中😭 )
ハミダシ者3人は閉鎖的な南部の人間からの敵視、逆に若い女の子からは憧れの眼差しを受けます。
女の子からの憧れよりも閉鎖的な大人たちからの敵視、差別に落ち込むビリーにハンセンは言います。
「連中が怖がるのは君たちが象徴するものだ」
ハンセンは象徴するものは長髪やファッションのことなんかじゃなく、 自由 であること、だと言います。
時間に縛られず、好きなバイクに跨がり、行きたいところに行って、人の邪魔をするわけでもなく気ままに生きていく。単に鳥が空を飛ぶように。
そんな自由を見せるな、と。
自分の自由を語ることはOKでも、人の自由気ままは見たくない…
今の世界と一緒。自分の自由だけ主張。他人の自由にケチをつける。今の日本と何も変わらないかな。
そんな話をして眠りについた夜、3人は襲撃を受けます...
ワイアットは顔面の軽症で済みましたが、ハンセンは寝ているところを撲殺されてしまいます。
ハンセンが話した通り、彼らの自由を恐れる者がハンセンの命を奪ってしまったのでした。
残された二人はハンセンの所持金等を家族に送ることにして(彼の死を伝える)、彼と行く予定だった娼館に向かうことにします。(弔うために)
気にくわないからなぐり殺されるという理不尽は、精神的にキツいものです。太陽が眩しかったから 殺されるカミュの異邦人の方がマシなくらいです。
この精神的にくる衝撃がこの展開の後にも続いていきます。初見の方はもちろん、昔見たことがある方も是非この作品の続きをもう一度見ていただきたいです。
この胸糞悪い感じは娯楽のハリウッドではなく、フランス映画でも見てるような感覚です。
ビリーというか映画監督としてデニス・ホッパーの色が出た作品なのでしょうか。
それにしても
自由人を迫害する劇中の俳優さんたちのセリフや顔つきが頭から離れません。
特にラストシーンに出てくるピックアップ·トラックの男、デビッド·C·ビロドーという俳優さんの顔が頭に焼き付き離れなくなってしまった ちゅう でした。

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