人の不幸を目の当たり、スローモーションな不幸の人が落ちていく場面を。いつになったら底に衝くのかわからない時間の中で、どんなに絶望的であろうと、落ちるのは自分じゃないけれど、息を飲込みただ眺めた。ただただ堕ちていく場面から視線を逃せられずに。
時子は様々で、複雑な感情で不幸な夫の最期を妄想したのでしょうか。それは不幸な夫を持った自分の不幸からの脱却であったのでしょうか。
時子は江戸川乱歩の小説、芋虫の登場人物で夫、須永中尉という戦争の英雄扱いの人物との物語です。
彼は戦争で両手、両足を失い、顔は原形をとどめておらず、更に耳は聞こえず喋ることも出来ない状態で妻の時子のもとに戻って来ました。
戦争の英雄といっても彼の面倒をみる時子の犠牲的精神、稀なる貞節といった彼女の虚栄心を擽るものでしかなく、この夫婦への哀れみから創られた英雄でしかなかったのですね。
身体的な不自由だけでなく、コミュニケーションの機能まで制限され戦争から生きて帰ってくることは不幸以外の何者でもありません。
若い妻時子を見るたびに複雑な感情になるのは容易に想像も出来ます。
時子は時子で愛する夫が帰ってきたのは嬉しいが、夫の身体のあまりもの変わりようにどれ程の絶望があったかこちらも理解できます。
時子は夫の身体でひとつだけ変わってないものが夫の両目であると言います。夫の面影が目にしかないのは逆に辛いことであるでしょうね。
そしてその喋ることのできない目ではありますが、須永中尉の唯一の意思表示の残された器官なのです。それが時子を狂わせていきます。
米国の作家、エドガー・アラン・ポーをもじった江戸川乱歩は日本の推理小説、探偵小説の第一人者です。
日本のアニメでも彼の作品の登場人物が出たりと、このジャンルにおいて最重要作家であることは間違いないでしょう。
そして彼にはもうひとつの特徴、ホラーでエロ・グロな作風があります。異常性愛や独特な偏愛が随所に見受けられます。
今回の芋虫もそうなんですが手足がなく芋虫のように動くその描写がとても分かりやすく、未知の世界を丁寧に書くから怖いものみたさでどんどん引き込まれて行きます。
作品名は忘れたのですが男女のシャム双生児の描写がでてくる場面で二人の血管の脈の描写がとても興味深くドキドキしながら読んだ記憶があります。
体を共有している相手の体温だとか血の流れる音だとか。そういう描写を設定できることが彼の一番の魅力だとちゅうは思っています。

さて芋虫に話は戻りますが、3年の月日が流れた夫婦の力関係は、当然の如く妻時子に完全に主導権が移ります。
夫のことをただの肉の塊としか見ていません。戦争の英雄、犠牲的精神、稀なる貞節といったこの夫婦を満足させていた名誉は何の意味も持たないことを時子は知りました。
時子は肉塊の両目に人間性を見出し、次第に憎むようになります。
ある日時子はその目を潰してしまいます。左右どちらも潰してしまいます。唯一の意志表示器官を壊したこの時に時子に後悔が生まれてきます。
何度も夫の身体にユルシテ と指で伝えますが返答はありません。以前は口にペンをくわえカタカナで意志を表明しましたが今回は何も答えてくれません。
ある日時子が家を開けた時に肉塊は家を飛び出します。ユルス という書きおきを残して。

必死に夫を探す時子。敷地の古井戸がある方で草を分け進む黒い物体が!
“あまりの恐ろしさに、釘づけにされたように、そこに立ちすくんでしまった。”
この小説は発表当時戦争を批判する書物ということで多くが罰点で伏せられた形で世に出されましたが、すぐに発売禁止になります。
それにしてもこの物語では誰ひとり幸せな人がいません。彼を生かすことで名誉を得た軍の医者くらいでしょうか。
生き続けていくことで起こる残酷を見せつけられた ちゅう でした。
“まことに変なことだけど、そのあわただしい刹那に、時子は、闇夜に一匹の芋虫が、何かの木の枯枝を這っていて、枝の先端のところへくると、不自由なわが身の重みで、ポトリと、下のまっくろな空間へ、底知れず落ちて行く光景を、ふと幻に描いていた。”
新潮文庫 江戸川乱歩傑作選 より

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