心が晴れない理由

雑記

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最近いろいろな靄(もや)が胸の中に発生中。ダイブ参ってきてます。

身体や体調の話ではなく、メンタルの話。

ほとんどのものは twitter や Yahooニュースなんかを見ての話だから、見なきゃいいんでしょうけどね。

何故SNSで人を誹謗中傷したり、人に迷惑行為をしたり、人を貶めたりするのでしょうか。本当に嫌なニュース、投稿が多すぎます。

とても攻撃的で(自分が言われている訳ではないけれども)痛みをもたらすものでもないけれども、不安を胸の中に落とし、真綿で首を締めるが如く、ゆっくりと、ジワジワと靄をかけ次第に闇にされる感じ出来ることは不安と苛立つことカナ

攻撃している側は、自覚の有無なんて関係のない話で、自分の主張を解からせるための強気な態度を単に言語化してるだけ。(なのかなぁと予想)

こんな毒というかウイルスにヤラれてしまったようです。正確には毒はトリガーでしかなく、病んでいくのは自分の心のシステムなんですけれどもね

毒を撒くひとはボタンを押すだけで、その後フツーに生活する。人を傷つけても関係ないと考えることが出来るひと。

毒を浴びるのはいつも普通のひと。人を傷つけないよう当たり前の気配りをするひと。

以前は、毒を浴びてもスルー出来ていたものが、現在は反撃する人が増えて、意見を戦わせるで済まずに中傷合戦。

ただただ悪目立ちしたい輩、過剰正義執行官出現、誹謗中傷のオンパレード、政治家のライバル咎め合戦...こんなのばっかり。

ニュースや YouTube も視聴を稼ぐために、タイトルや内容をどんどん過激に、目立つためなら迷惑行為も辞さない。(ように見える)

自分が良ければ他人はどうなっても構わない。(ように見える)

エキセントリックであればあるほど収益を得て、更に油を注いでボロ儲け。

世界の不安や怒りを金や自分の満足のために利用。実際の割合は低いかも知れないけれども、自分勝手な人間が多くなっている印象です。

そんな毒が日本中に蔓延しています。りゅうちぇる、回転寿司テロはとてもショッキングな二ュースだけど、それだけではないでしょう。(りゅうちぇるはマジ辛かったです)

問題はどこにでも落ちてますスマホの中で、たくさん見つけることができます。

22年の年末に似たような思いで、twitterから距離を置いたのですが、ちゅうはこういった環境に馴染むことが苦手なのかも知れません。

しかしこのご時世にSNS無しで生きていくのは(利便性において)難しいことに思えます。

6大SNSの LITTFY (リティフィ)の利用率が90%以上というのですからどれだけ根付いているものか分かるというものです。LINE,Instagram,Twitter,TikTok,Facebook,Youtube

令和の時代は昭和、平成とは違う新しい価値観が求められる時代といえそうですね。

風の時代 という言葉を、最近耳にすることが多くなりました。

占星術でいう風の時代 は、今までの 地の時代 からの変化で、物質至上主義から人間性に重きをおく個人主義や、目に見えない心や魂といったスピリチュアルに傾倒していく時代のことのようです。

確かにここ最近の時代の変化というか、人間性を大切にする風潮というか、それこそそういった風向きが変わった感 は強く感じています

そういう意味では 予測不能の ブーカ よりも 風の時代 の方が令和の時代性を上手く現していると ちゅう には思えます。 

しかしながら今のSNSについて云えば、そういった時代の流れから外れてますね。

SNSの本質を穿った見方をしていることが本質の見誤りかも知れませんが、SNSのルールのアップデートが必要なのは間違いないでしょう。

SNSの匿名性で人間の野蛮さ、性悪の可視化が起きて。昔、心のささやきを世界に表現できるのは芸術家くらいだったでしょうが、今は誰でも簡単に発信できます

良いことだと思う反面、無責任な発信がとても多いと感じています。

人を貶めたり、虐めたり、悪評を流したり、オブラートに包むことなくストレートに。そういう便所書きみたいな発信は、ある程度規制しなければ傷つくひとはどんどん増えていくでしょう

オブラートに包んでもダメなものはダメ🙅だけどね。

個人主義の勘違い、言論の自由の履き違えは、運営での対処はもちろん、世界的な政治レベルで考えて欲しいですよね。(SNSで世界は繋がっているのだから当然でしょう)

そしてもうひとつ、自分で自分の発言の問題に気づけないパターンもありそうです。

ちゅう も気をつけるように心がけているつもりですが、このパターンは日頃からの人間関係が必要かも知れませんね。

特に人間関係がどんどん希薄化してる時代ですから尚更です。

ダメなことを教えることが出来る関係性、間違っていた事を素直に認める柔軟さ、謝罪を受け入れる寛容さを上手く育てていきたいものです。

言葉って本当に恐いです。何気ないつもりの言葉でも、本意でないのに悪く捉えられたり、それだけで関係が拗れることだってある言葉足らずで誤解されたりしょうがない部分は分かるのですが、そんなに目くじら立てないで、寛容さを持って接して欲しいし、寛容さを持って接したい、と強く願う 喋り が苦手な ちゅう でした。

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