関心領域 について

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「関心領域」というナチスドイツ時代の家庭を描いた映画を観ました。

コレがなかなか考えさせられる興味深い作品だったので、今回取り上げてみたいと思うのですが、

この作品が、ストーリーや展開に惹かれる類いのものではないので、

いつものあらすじ中心の記事ではなく、私ちゅうの感想がメインの回になると思います。

今回も最後までお付き合いください。


関心領域(原題 The Zone of the Interest)は、2023年公開の 米・英・ポーランド共作の歴史映画で、

英国人マーティン·エイミスの同名小説を原作とする、アウシュヴィッツ収容所の真横で暮らす一家の物語になります。

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タイトルについては、ナチスがアウシュヴィッツ収容所を取り囲む40平方キロメートルの範囲を“関心領域”と名付けていたことに由来します。

この作品は、カンヌ国際映画祭でのグランプリ獲得を皮切りに、様々な映画賞で評価を受け、

アカデミー賞で国際長編映画賞と音響賞を受賞することになった作品であります。


🆘簡単なあらすじ🆘(ネタバレ)

アウシュヴィッツ強制収容所を塀一枚で隔てる豪華な一軒家に住むのは、収容所の所長であるヘス中佐とその家族。

都市部の豊かさ、景観はありませんが、

は、収容所のユダヤ人から奪った金品、宝石や洋服などを自分のものとしたり、

使用人を使い広大な庭の整備に力を入れたりと

自分たちの生活環境を良くすることに余念がありません。

(壁一枚隔てた楽園と地獄)

ヘスの妻を“アウシュヴィッツの女王”と呼ぶ者もいるようです。


一方の収容所のヘス中佐の方は、高効率の焼却炉(収容者用😱)の計画に没頭する仕事人ですが、

家に帰ると家族を大切にする父親に戻ります。

(壁を挟んだ二面性)

そんな幸せなヘスの家に妻の母親が訪ねて来ます。

裕福な生活や住環境、娘の家族の幸せを見て満足気な母親でしたが、

収容所の異様さにも気付いた彼女は、その後娘に顔を合わせることもなく(置き手紙を残すだけで)家に帰ってしまいます。


ヘス大佐の転属が決まった時には、

妻はアウシュヴィッツの環境を離れることを拒み、夫を単身赴任を勧める程までに、

アウシュヴィッツの生活に幸せを感じていました。

この生活こそが、正にヒトラーのいう東方生存圏だと信じてやみません。


転属が間近になり、

ヘス中佐が収容所で仕事をしていると、一人の女性受刑者が部屋に入ってきます。

場面は変わりズボンを膝まで下げ念入りに下半身を洗ったヘスは、

長いトンネルのような廊下を進んでいきます。

長い廊下を渡り辿りついたのは、家族が暮らすあの一軒家😱

壁に阻まれていた収容所と立派な一軒家は、地下のトンネルで繋がっていたのでした。


単身赴任で赴いた新天地での功績と、現収容所の所長の仕事振りから、アウシュヴィッツの所長に返り咲くことになったヘス中佐。

望んでいたアウシュヴィッツに帰れることになったヘス中佐は、喜びで妻に電話報告。

しかし一部ナチス幹部には、受刑者を始末し過ぎた彼に反発もあるもよう。

更に彼には、健康面の不安も生じているようです。

彼や彼の家族にはどんな未来が待っているのでしょうか。

ナチスドイツ解体も刻々と近づいています。

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★ 感想

壁の向こう側で何が起こっているのか容易に想像がつくので、

恐ろしいシーンが一つもなくても、恐ろしさを感じるという不思議な作品でした。

それを助長するのが

アウシュヴィッツでの過去の出来事についての皆が持つ当たり前の知識と、

アカデミー賞を受賞した“音響”で間違いないでしょう。

映画のオープニングから真っ黒画面が長く続くのですが、

メロディーにならないゆったりとしたノイズ音からこの映画は始まります。

本編に入ると、

今度は終始、所々で壁の向こう側の音が漏れてきて、想像を掻き立てられます。

漏れ伝わる音はアウシュヴィッツの収容所の音ですから良い音ではあり得ません。

このことは、音以外にも波及してきます。

空の色、壁の向こうに見える煙、雲、花々に至っても恐ろしく見えてくるようです。

今触れた映像については人物を追うカメラワークにも特徴があります。

第三者が少し離れたところから見ているような映像が多く使われます。

会話シーンでも定点から映される映像は、見慣れなさもあるのでしょうか異様さを掻き立てられます。

覗き見をしているというか、悪事を盗み見している感覚に陥るのでしょうね。


他にも気にかかる映像はたくさんあります。

ヘス家で使用人として働く少女が、

深夜に収容者が働かされる作業場に忍び込み、リンゴを置いていくシーン。

(お腹を空かせたユダヤ人を思っての少女の優しい行動)

深夜の出来事なので照明を使わないのは分かるのですが、

美少女が作業場に一つ一つリンゴを置いていく絵面を、暗視カメラで撮影しているのがホラー映画の如く不気味なものでした。

(グリム童話の朗読と重なるこの場面はこの映画の重要なシーンに見えます)

こういう印象的な音響、映像、小話がたくさん詰まった見応えのある映画であることは、観ていただければわかるはずです。


優生思想を除けば、今の時代にあってもおかしくない 一家族の動きを追った映画といえると思うのですが、

何を伝えたい作品なのか、少し考えさせられました。

ちゅうが感じたのは、

ヘス一家が受刑者(ユダヤ人)の犠牲の上に成り立つというナチスの問題というよりも、

今の時代においても普通にあり得る 人間の普遍の問題じゃないか

ということでした。

我々が口にするコーヒーやカカオは、少し前までは黒人が搾取されて成り立っていたことは

昔歴史の授業で習った黒人奴隷と構図は一緒、ということを知っていたはずです。

もっといえば、先進国は今だって搾取する側であって、ヘスの家族と何ら変わらないと思うのです。

ナチスは悪 といった単純な話ではなく、弱者を食い物にして肥えていくそんな事象は、

人権を大切にするといわれる今の時代になっても、

何も変わっていない、というメッセージに思えてなりません。

ヘスの家族が、収容所のどこまでを知っているのかは不明ですが、

少なくとも夫妻の子どもたちは、今の子どもたちとどこも変わらない。

(教育で変わっていくというのは認めますが…)

映画の中でもヘス夫妻の息子(小学生になる頃か)が、部屋で遊んでいる時に、

壁の向こう側から聞こえてくる声に反応するシーンがあります。

その声というのは、ユダヤ人受刑者が看守から怒られる罵声なのですが、

それを耳にした小さな少年は、

“二度とやるんじゃないぞ” と心配そうにつぶやくのです。

現代の子どもたちと変わらないというか、むしろ優しいのかも知れませんが、

大人の事情がわからない分、人間らしくいられるのでしょうね。

リンゴを作業場に置いていく少女もそう。

大人のしがらみに囚われず自分が感じるままに行動出来る。

子どもたちの行動がその事実を浮き立たせています。

戦争、経済摩擦、環境問題等、大人でも意見が割れてしまう争いは、

子どもたちに上手く説明出来ない“大人の事情”が引き起こしています。

正解のないただの意見の相違が大人の事情。

結局は自分が第一。

他人、他国がどうなろうと自分の側が良ければそれでいい。

映画では、全体の縮図がナチスであっただけで、

今の地球上自体が “関心領域”になっている

そんなメッセージのように思えてしまった ちゅうでした。

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