卒アル断捨離

雑記

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私、ちゅうが 車を所持しなくなって10年以上経つのですが

2回目の免許更新がやってきました。

脳出血の麻痺で右足の足裏の感覚を失くしてしまったことが車の運転をほとんどしていない一番の原因だったのですが、

前回(5年前)は、足が良くなるかも、という希望もあったので

当たり前のように免許を更新してきたわけですが、心変わりが起こってきたのはここ最近。

家の都合で、軽トラ(マニュアル)を借りて物を運んでいた時のこと。

右足の位置が分からなくなり(アクセルもブレーキも踏めず)

慌てて左足でブレーキを踏み、エンストして止まったことがありました。

軽トラの 狭いコクピット(⁉)の中で身体は グチャグチャ😵

恥ずかしさよりも、

“運転もうだめかも…”

と SHOCKを受けたことを思い出します。

運転に慣れれば回避出来る問題だと思われるかも知れませんが、

人身事故を考えれば、運転免許返上をよぎってしまう出来事でありました。

自動運転のサポートや、右足を使わないよう改造する、という手段もあるのでしょうが、

障がい者ではない ちゅうにとっては金銭的にも現実的とはいえません。

最近は、完全に車の免許と オサラバしてもいいかな、という気持ちも出ていました。

そんな気持ちの揺れがあっての今回の更新であったのですが、 ちゅう が出した結論は、

結局は、免許更新でした

運転はしないにしろ、お金をかけて(4,000円ほど)結論を5年先延ばしにすることにしました。

更に、

マイナカードで運転免許を代用させるか、という選択の際にも

わざわざ運転免許を作る方を選択させてしまいました。

またまた1,000円也のお金をかけて…


ちゅうが最近捨てられなかった物は、

車の運転への未練運転免許証

自分にとっては無駄なものに思えていたのですがね…

捨てられませんでした。


捨てられないといえば、3月に機種変更したばかりの携帯電話もそう。

wifi で使えるうちは、使用される方も多いと思うのですが(別垢でゲームとか)

ガラケーや、

OSが古過ぎるスマホ

バッテリーがほぼほぼ死んでいるスマホ

は、データを移していれば取っておく意味がほとんどないように思えます。

メルカリで高く売れるとかなら、保管の意味もあるかもですが、

個人情報がてんこ盛りだったスマホを売るのは少し恐いかな。

特に個人売買だとね。

同じようにパソコンもそう。

Windows95、98、8 は、ただただ段ボールの中で眠っています。

(XPのノートだけは、たまに古いゲームをしたりするので手元にあります)

最近捨てられない物、第二弾は、

古いスマホ (ガラケー、パソコン)

ですかね。


ちゅうのことを、物を捨てられない人 と思っている方がいるかも知れませんが、

確かにおっしゃる通り捨離が苦手なんだと思います。

ただ、そんな ちゅうでも

一度だけ とんでもない「断捨離」をしたことがありました。

一度っきりですが、

一生分に値するような整理整頓をしたことが…


音楽·映画が趣味の ちゅうが、

当時使っていたオーディオ関係(スピーカー、アンプ、レコードプレーヤー等)

レコード全て、

CD お気に入り50枚残しそれ以外全て、

DVD·VHS ビデオテープ(映画·音楽·H)全て、

ギター関係 ギター1本だけ残しそれ以外全て、

を友人に譲渡 or 廃棄処分したことがありました。

更に、

全ての卒業アルバムや、全ての写真もゴミ処分…

洋服や本も必要最低限を残し、ほとんどの物を処分しました。

理由は部屋を片付けたい、といったことではなく、

それは、

脳出血で倒れた後、離婚で妻子と別れることになった時のことでした。

退院したばかりで、急に離婚を決められたため、

キチンと考えずに衝動的にやってしまった結果でした。

これが断捨離の理由…

離婚が決まってから地元に帰ることになりましたから、荷物は少ない方がいい というのも手伝って、

宅急便3箱くらいの段ボールで地元に戻ることになりました。(正確には 3箱 + ギター&ゴルフバッグ)

今思うと、リセットをかけたい の思いもあったのかと思います。


別れたばかりの頃は、

この断捨離について後悔するということはなかったのですが、

時が経つにつれて、

ちゅうの思い出は、全て自分の頭の中だけ だと思うと

卒業アルバムくらいとっておけばよかった という気持ちが出てくるようになりました。

名前を思い出せない人もいるし、初恋の娘の顔も見れません。

(親元に帰ってきたといっても、幼少期に住んでいた土地なので近くに友人もいなく…)

子どもの写真は、デジタル化していましたから問題なしですが、

自分の過去を示す写真がないことにも、正直 後悔しかありませんでした。


後悔しても戻ってこないから、こんな話しをするわけではないですが、

今は、

これで良かったのかな、とも思っています。

東北の大震災の被災者の方をテレビで見ていると、

肉親を亡くした話や、

思い出のアルバム、思い出の我が家を 津波に流された話を聞くことがあります。

そのやりきれないであろう感情を思えば、自業自得ともいえる

“とんでもない断捨離”

を嘆くことなど出来ません。


現在は実家暮らしで、年老いた母と暮らしています。

写真を捨てたことを後悔し初めた頃、母に写真のことについて聞いたことがあります。

古い写真は今もあるのか、と。

答えは、ほとんどの写真は処分してしまったとのことだったのですが、

小さな箱に入っていた数枚の写真を見せてくれました。

見た事のない写真の中に、母や死んだ父の写真、家族の写真だけでなく、

ちゅうの幼少期の写真が出てきたりして…

わけのわからない涙を、母に見せまいと必死に隠したことがありました。

これが自分の指標になっていくのかな、と思ったり…


何が正しいとか、何が間違っているとかいえませんが、

投げ遣りに、衝動的に卒業アルバムなんかを処分するようなことはせず、

慎重に、時間をかけて決めるべき。

酒を飲んで酔った勢いみたいな決断だけは、しないようアドバイスしたい、説得力ゼロのちゅうでした。


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