7月30日の忙しい朝の時間帯に、Tsunami のテレビニュースと、行政からスマホへの津波警報アラート…
日本の太平洋側全域に津波警報が出るという広範囲は、かなりの地震規模を思いましたが、
やはり、1900年以降の規模で8番目にあたるという カムチャツカ半島地震が原因でありました。(2011年の東北の震災が4番目)
国外の地震でここまで津波の警報が出るほどの津波は記憶がなかったので驚きでもありましたが、
カムチャツカ半島と北海道の間が 千島列島という見方をすれば、全然遠い所の地震ではないことに気付かされました。
そして現地の情報が届き、揺れの具合を映像で目の当たりにすると、
次第と2011年の記憶が蘇ってきました。
3.11地震当時の不安は、今もよく覚えています。
本震以外にも大きな地震を常に感じていたので、多分又、大きな地震が来るという嫌な予感、
家族と連絡が取れない不安、
本震以降は、電気が完全にストップしてしまいましたので(1週間くらいだったような記憶)
街並みが大きく一変してしまった感で、世界の終わりが来るんじゃ という終末感に囚われてしまったことを思い出します。
“日本どうなっちゃうんだろう”っていう不安に苛まれていました。
ただ、情報が掴みづらい状況下にありましたから、
(ラジオと車のカーナビでテレビを見るしか外部の状況がわからない部分もあって)
“自分たちのことで精一杯”でいられたのだと思います。
後になってから、
知り合いが亡くなっただとか、
車や家を津波で流されただとか、
少し広げた生活圏の情報を入手出来るようになり、
更に電気が復旧してから、より広範囲のことが分かりはじめ、
東北や日本がどうなっていたか、ということを映像で知ることとなりました。
それが、今回の津波については、
家のテレビの前で情報、映像を見ながら、
スマホで欲しい情報を得て、
余裕を持った行動ができます。
やっぱり“情報”は大切。
(情報の取得のために使う“電気”も大切)
今回は、自分が住む地域の地震が小さかった(震源地から遠かった)のも手伝って
海に近寄らなければ、問題ないケースなのかなぁと素人予想をしておりましたが、
それでもニュースを見ていると、
多くの住民が 高台や避難所に逃げている場面をたびたび放送していたので
2011年の記憶は日本に根付いているのだと思わされました。
防災意識が根付くのはとても良いこと。
マスコミが過度なくらい情報を繰り返し伝えることも良いことだと思います。
3.11当時、
見るのが辛かったものは、
津波の映像と、
どんどん膨れ上がっていく死者・行方不明者の数だったことを、
思い出すのですが、
ただ、そういった報道が今の日本の防災の意識付けに一役買っていたのだと思わざろうえないのです。
(一部視聴者に向けた 某政治番組とは大違い )
今回の津波では、大きな被害に至らなかったので心の痛む国内ニュースはなかったですけどね。

不満があるとすれば、
被災地カムチャツカの情報が少ないと感じること。
巨大地震後、火山の噴火があったこと、
人的被害や現地の人々の暮らしぶりがあまり報道されないこと、でしょうか。
あまり続報が入らないので、現地の被災者のことが心配になってきます。
ロシアの、更に極東の僻地だからという部分もあるのでしょうし、
ロシアの政治状況、ロシアのマスコミの問題等あるのかも ですが、
すぐ近くの隣国の話しになりますからね。
無事を祈るばかりです…
ところで、
1900年以降に起きた地震の規模で、
今回のカムチャツカが8番目、
東北の3.11が4番目と冒頭に書きました。
この表に今回の地震(M8.7)を8位に入れると、
上位10位で、12件の地震が該当することになりますが、
地震が起きた年代に注目してみると、
1900年代 7件
2000年代 5件(41.7%) と、
前世紀の100年間で、 7件あったものが、
25年間で 5件もあることに驚かされてしまいます。
ちゅうは専門家ではありませんから、テキトーなことは言えませんが、
大地震の確率が大きくなっているのは間違いないのだと思います。
これからも、
日本のみならず地球上で起こる大地震や津波を乗り越えて、
その術を未来へ繋げていって欲しい、
とコスモポリタンチックに唱えてみたくなった ちゅうでした。


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