先日、月一回の病院がえらく激混みで大分待たされてしまいました。
昔なら自然とスマホに手がのびるところですが、
最近は、外出先ではスマホを極力使わないようにしていたので
小説でももってくれば良かった と思いながら、待合室の本で我慢、暇潰ししていました。
しかし
あるのは子どもの絵本と女性週刊誌のゴシップ記事ばかりで すぐに飽きてしまって…
テレビのワイドショーは流れているものの、テレビが遠く騒がしくて 良く聞こえません。
そうなってしまうと結局、
スマホをポチポチ イジって、インスタ知り合いの投稿チェック。
早速荒れている返信欄を見て
スマホ(SNS)は、“ちゅうにとっては”良くないものだなぁと思いながら
見なきゃ良かったとスマホをそっ閉じ…
人が多く集まる投稿では、
必ずといってよいほど 人の言い争いが見られますよね。
世界が平和にならないのは、
政治家のせいじゃなくて、こんな言い争いばかりしてる人たちのせいじゃないの?
というレベル…
SNSに初めて触れる子どもにも間違いなく悪影響…
軽く受け流せれば良いのでしょうけど、それが出来ない人もいるんですよね。
ちゅうもそう…
Xより居心地が良いと始めた Instagram も、残念ながらここ2〜3年で大分変わってきました。
自分にとっては唯一残っていたインスタからも、毒を感じるようになり
現在は、投稿はほとんどせず(月一回くらい)、週に2回ほど 知り合いの投稿を確認するくらいといったところ。
ちゅうにとってスマホは、
①音楽やゲーム、学習のツールとしてのスマホ、
②ニュース等の情報を得るためのスマホ、
③買い物等の利便性のためのスマホ、
でしかなくなってきました。
子供たちはそんなスマホの毒を、どのように処理しているのか(処理しきれているのか)
心配になってくる今日この頃…

そんなこんなで、
ブログ記事を見ながら、病院で暇潰しをしていたら、一つ気になるニュースがありました。
それは、
以前あった、漫画のテレビドラマ化における原作者と脚本家の意見の食い違いで起きた
“セクシー田中さんの出来事”を思わせるものでありました。
ブログ系のニュースから ヤフーニュースに切り替えて内容を詳しく確認してみると、
自分が思ったよりも大きな話題になっているようでした。
そのニュースは
ガールズバンドを題材とした漫画「ぼっち・ざ・ろっく ! 」のアニメ化に尽力、貢献した 脚本家·吉田恵里香さんが、
アニメのイベントのトークショーで 原作の漫画ファンを怒らせる発言をしたというもの。
「原作(漫画)では ひとりちゃん(主人公·後藤ひとり)が水風呂に入るシーンで裸になっているんですが、アニメでは水着にしてもらいました。
“ぼざろ”(この作品のこと)が そういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし、覇権を狙う上では そうした描写は“ノイズ”になると思ったんです」
と吉田さん。
コレが
原作表現を“ノイズ”呼ばわりと原作ファンを怒らせてしまったという発言になるのですが、
正直なところ“セクシー田中さん”の原作改変ほどの騒ぎではないんじゃないか?
というのが ちゅうの最初の感想でした。
確かに“ノイズ”という言葉を使ったことは、ダメだと思いますが(作者に失礼)
「裸を見せられることに嫌悪感をもつ人もいるかもしれませんので、協議の結果、水着にさせてもらいました」
くらいの言い方をしてくれたら良かった話しであって、
そんなに目くじら立てるものでもないように思います。
ただの言葉の“選択ミス”なような気もするし…
“謝れ ! ”
“謝罪しろ ! ”
と難癖ばっかの正義マンには、少し落ち着いて欲しいです。

ただですね、
この脚本家の言うことを支持しているわけではないことも話しておきますね。
ちゅうは、
漫画やアニメ、映画、音楽などなどに様々な規制を加えようとする動きには反対の意見を持っています。
今回でいう性的表現についても同様です。
ちょうど最近、昭和の時代の映画「ゴンドラ」(1987年 日本)という作品を見たのですが、
コレが、今の時代ではあり得ないであろう
少女やお婆さんの入浴シーンが映る作品だったのですが、(お婆さんの方が驚き)
映画自体はとても素晴らしい作品でした。
セリフというものが、終始少ない映画だったからこそ、
風呂場で背中を流し合う少女とお婆さん(赤の他人同士)のシーンが上手くできてるなぁと
感心していたばかりだったので、
今回のニュースを聞いて、すぐにこの映画のことが頭をよぎったわけです。
“裸”が作品の良し悪しを決めるものではないと。
いろいろな作品の中で、ヌードというものはありますが、
全てのヌードが悪というものではありません。
たくさんの書物、たくさんの彫刻、絵画が大切にされていることからでもよく分かります。
吉田さんのいう性を搾取する目的のヌードも多く存在はしますが、
全てのヌードが性を搾取するものではないというのも事実。
こうなってくると
ヌードの是非をいくら問うても、意見の食い違いが続いていくだけのことでしょう。
吉田さんも言っています。
(ぼざろが)そういう描写が売りの作品ならいいと思いますが…
と。
“ぼざろ” の本質が裸なのなら それでいい、という彼女のスタイルは、
自分はそういう仕事はしないが、そういう仕事があることを理解を示しているように見えます。
そして彼女は、頭ごなしに悪と決めつけ騒ぎだすフェミニストの発言をしているわけではないでしょう。
(騒ぐフェミニストは確かに多いですが)
彼女はただ、自分が正しいと思う仕事を選んでいるだけという気がします。
自分の仕事に関しては自分の色をつけます、と。
吉田さんが、NHKの朝ドラ・虎の翼 の脚本を書いた時のように、思想じみた思いが色濃くあったのだとしても
彼女と製作側の考え方が違ったのであれば、彼女が仕事を失っただけの話しであります。
そして彼女の脚本に共感できないのであれば、
(こういう意味では彼女も“ノイズ”を生んでいると言えるのかも知れません)
彼女の作品を見なければ良いだけの話しでしかありません。
アニメでも、映画でも、音楽でも嫌いなものを無理して観たり聴いたりすることはないでしょう。
他人との色の違いで 争うことは、昔からあることなのでしょうけれど、
SNSのある 今の時代が一番醜い感じがします。
いくら人権、人権 と騒いでも、言うほど人に優しい世界とは到底思えません。
考え方が同じ人には優しくして、
考え方が違う人には牙を向く冷たい時代…
SNSでは、考えの違う人を口撃する 芸能人・思想家 がたくさん溢れています。
ひとりひとりの考え方が違うということを理解して、尊重するだけでもしてくれれば(十人十色)
今よりは 大分住みやすい世界になるとは思うのだけども…
“それが出来ない令和の地球人”に一言言いたい ちゅうでした。

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